ゆにわ塾

マンガから自分の痛い過去を思い出した話。

こんにちは、ローラララです。
今日はいきなり本題です。

 

主人公に共感したマンガ

 

今日、こんなマンガを読みました。

数字であそぼ。絹田村子著

 

記憶力がめちゃくちゃ良くて、
記憶力だけで京都大学理学部に入ってしまったけど、
問題をすべて記憶力だけで解いていて
「問題を理解する」ということをしてこなかったため、
一年生の数学の講義の最初でつまづいてそこから2年留年してしまい、
そこから留年仲間の友人とともに「卒業」という頂を目指すという内容です。

 

この本がものすごくおもしろかったのです。

なんでかというと、
「理解していないのに問題だけ解けたおかげで
難しい大学に受かったけど内容を理解していたわけではなかったから入学後につまづく」
というところが自分とそっくりだったからです。

 

私の人生を振り返ってみると、
「理解力がないのに難しい大学に受かってしまった」というところが
私自身の人生において大きなマイナスだったのではないかと思うことがあります。

 

コミュニケーションが苦手で人間力がないのに
大学がいいせいで下手に「すごい」と称賛され、
それで自分のことをすごいと勘違いして、
なんの経験も積んでいないのにプライドだけが増大していく・・

という客観的にイタイ人間でした。

 

 

イタイ部分を自分の強みにする方法

 

最近、ゆにわ塾という「よりよく生きること」を目指すオンラインコミュニティに入って、
毎日ひたすら音声を聞いています。

ゆにわ塾ですごいなと思うのが、
ゆにわ塾関係の人はみんな、
自分を飾らず積極的に失敗談を出しているというところです。

こういうことをやらかしてしまいました、とか、
最初は自我が捨てきれませんでした、とか、
カッコつけたがりの私からしたら
「そんなカッコ悪いことは普通は隠すんじゃないの?」と思うようなことを
普通にばんばん出しているのです。

本当にびっくりしたのですが、
それは聞いている側からしたら本当にありがたいなと思うのです。

なんでかというと、
「こんな欠点だらけの自分でいてもいい」と思えるからです。

ゆにわ塾の人が、いいところしか見せずに、
欠点を決して見せないようにしていたら
「自分とは違う」と距離を感じて、
「ああなれない自分はダメだ」と思っていたと思います。

ですが、ゆにわ塾のかたが失敗談を話されるので、
「こんな欠点だらけな自分でも、考え方を変えることで
より良い自分になれるかもしれない。
欠点に対する自分の意味付けを変えることができるかもしれない」
と思えます。

 

今回でいえば、
自分はさんざん「イタイ自分」であったけど
それに気づいたのは自分の成長だと思うし、
さんざんイタイ自分だったからこそ、
そんな自分だからこそできること、伝えられることがあるのかもしれない。

 

さっき、
「理解力がないのに難しい大学に受かってしまった」というところが
私自身の人生において大きなマイナスだったのではないかと思うと書きましたが、

そこを一段超えて、
それも含めて私の人生で、マイナスではなく、
自分の捉え方ひとつでプラスにもすることができる可能性がある、
と今では考えています。

 

ゆにわ塾をひたすら信じてみる

 

ゆにわ塾に入って一か月ちょっとで、
入ってから毎日ひたすら音声を聞いています。

ゆにわ塾の教えは、
「人のために働きましょう」とか、
「目の前の人のことや、目の前の仕事に心を尽くしましょう」とか、
「嫌なことでもやりましょう」とかで、

一般的に人気がある
「不労所得を作ってセミリタイヤ!」とか
「好きなことだけやって、好きな人とだけ関わろう!」とかは真逆です。

私は俗っぽいので、
「不労所得でセミリタイア」とかにやっぱり惹かれます。

ですが、ゆにわ塾の教えを信じていたら、
むなしくない、死ぬとき後悔しないような生き方ができるかもしれない
と思って今は無心でゆにわ塾の教えを自分に落としこむようにしています。

 

人生は長いので、
「より良く生きる」ということができるようになればいいなと思います。

 

読んでいただいてありがとうございました。