自分物語

高学歴女子の憂鬱

学生時代にこんにちは、ローラララです。

 

最近Twitterでコミュニティという機能が新しくできたので
さっそく入ってみました。

 

 

そのコミュニティで自己紹介をしてみたら、
そこからこのブログに来ていただいた方が多くて嬉しかったのですが、
このブログを続けているわりに自己紹介を書いたことがほとんどなかったなと思ったので
今日は自己紹介を書いていこう・・・と思って途中まで書いていたのですが、

意外とまとまらなかったのでその一部を書いていきます。

 

肩書で判断されるということ。

 

私は国立大理系院卒です。

これを言うと必ず、「すごいね!」と言われます。
そして私の学歴を言った瞬間に、「ただのローラララとしての私」ではなく、
「国立大理系院卒の人」という目で見られてしまうと感じます。

 

「理系だからすごい」
「わからないことはないはず」
「優秀なひとのはず」

 

などなどで、その瞬間の私はなにをしているわけでもないのに、
自動的に一目置かれてしまう感じを受けるのです。

 

そういう風に見られるたびに、
いつも居心地が悪い思いをしてきました。

私は、いいのは学歴だけで、
実際には正社員として入社した会社で何の役にも立てなかったし、
学生時代に学んだ内容を今の仕事に生かしているわけではありません。

 

「学歴のせいで実際以上の評価を受けている」と感じるのです。

 

自分に対する自分の偏見。

 

実はさっき、この記事を書いている途中で、
「私は全然優秀ではない」
「性格にも問題があるし、およそ人から賞賛を受ける人間ではない・・」
と書こうとしていました。

 

ですが、途中で気づいたのです。

 

私は、私自身を卑下しすぎなんじゃないだろうか。
私は、言い訳ばかりして、努力しないことを正当化していないだろうか。

 

学歴に囚われているのは、自分自身なんじゃないだろうか。

 

 

私が、学歴を誰かに知られるたびに感じていた居心地の悪さは、
「学歴だけで判断されて私という人間そのものを見てもらえなくなる恐怖」のほかに、
「期待値が高くなって後でがっかりされることへの恐怖」もあるのだろうと思います。

だから、勝手に自分で予防線を作って、
「期待値ほどではないです」
「期待しないでください」
「がっかりしないでください」と
言おうとしていたのではないかと気づきました。

期待値を下げたら自分が今のままで努力しなくていいから、
必死でそうしていたんだと思います。

 

ですが、書いていてそれはダサいなと思ったので、
やめることにしました。

 

最初から予防線を張るのはやめて、
自分のことを卑下したり過剰に下げたりするのはやめて、
今からでもできる努力をしていこうと思います。

 

今回、自己紹介をしようと思って書いてみたことで
このことに気づくことができて良かったです。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

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