自分物語

愛情が満たされていないと他者を思いやれない。

こんにちは、ローラララです。

 

今日は、家族で行ったフードコートでの気づきについて書いていきます。

 

こどもに譲れる大人になった話。

 

今日、家族で買い物に行ってフードコートに行きました。
フードコートでは家族それぞれ好きなものを食べるのですが、
子どもたちはおうどん、私はバーガーキングのセットを頼みました。

私は、たまに飲むコーラが好きで、いつもならセットの飲み物ではコーラを頼むのですが、
今日はそんなにコーラな気分ではなくて、
そういえば子どもたちはカルピスが好きだったなと思って、
セットの飲み物をカルピスにして、子どもたちにあげることにしました。

このこと(子どもたちのために自分の食べ物を譲ったこと)に
自分ですごく感動したのです。

なぜかというと、
結婚当初から何年かの私は愛情が全然足りていなくて、
自分のことで精いっぱいで、
子どものことよりも自分のことだったし、
世間の認識の、「母親なら子どものために我慢すべし」とか、
「母親なら自分の欲求よりも子供を優先させるもの」とか、
「母親ならわが子のために自分の命は惜しくない」とかの
「母親神話」に本当にイライラして、
そんな風にできない自分は人としておかしいのかもしれないけど、
でも子どものことよりも自分を優先したい!と思っていたからです。

思えば、当時「母親神話」にイライラしていたのは、
私自身の母親が「私は自分よりもローラララの方が大事なのよ」とか、
「ローラララのためなら自分の命は惜しくない」とか口では言って、
いちいち恩着せがましくしてくるくせに、
実際の行動や言動は正反対なところに
本当にむかついていたんだと思います。

 

そんな風に自分の愛情不足&母親へのイライラで
結婚当初から何年間かはこどもよりも自分優先にしてきました。

ですが、結婚からかなりの年数が経って、自然と、
自分の欲求よりも子どもたちに譲ってあげたくなったことで、
「ああ、やっと自分自身が受け取る愛情が十分満たされたんだな」と思えて
そんな自分に対して本当に良かったなと思えたし、
それまでしんどくても支えてくれた主人に本当に感謝しないといけないなと思いました。

 

 

このことで思うのですが、
人のことよりも自分のことを優先させてしまう人というのは
愛情が足りなかったり、自分に余裕がなかったりで
自分が満たされていなくてそういうことができないのかなと思いました。

 

私自身は、「愛情不足な時期→愛情が満たされた時期」の両方を知っているので
どっちの気持ちもわかるのですが、
愛情が満たされている人から愛情不足な人を見たときに、
事情が理解してもらえないだろうなと思いました。

いろいろなできごとをなにかのせいにするのはどうかと思いますが、
世の中のできごとって確実に本人以外のなにかのせいでそうなっているということはあるなと思いました。
依存症とか、人を困らせてしまういろいろとか。

 

私ができることは、人への想像力を働かせることと、
自分の子供の愛情ゲージを満たしていくことなので、
それをやっていこうと思います。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

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