ローラララです。
人が「誰かのためになにかしたい」と思うときは
二段階あると思っています。
一つ目は、自分が満たされないままで、
誰かのために役立つ自分であるということで自己承認欲求を満たそうとするとき、
もう一つは自分が十分満たされていて余力がある時です。
私は、親からの愛情を受け取ってこれなかったので、
結婚するまでずっと、愛情不足のままでした。
だから、自分の価値を見出したくて
何かの役に立つ自分でありたい、誰かの役にたっていたいと思っていました。
(むしろただの自分は価値がないと思っていました)。
ですが、ベースになっているのが承認欲求だし、
人に気を向けられる余裕がなかったので、
気持ちは空回りするし、
いらいらするし、
栓を閉めていないままお風呂にお湯をためようとしているような感じでした。
それが、主人と結婚して、
親と物理的にも精神的にも離れて、
何年も過ごすうちに十分満たされてきて、
初めて、
まわりのために何かがしたいと心から思えるようになりました。
そう思えたときに初めて、
「周りのためになにかができるって本当に幸せなことなんだな」
と思いました。
昔の私だと、
「何かしてあげたい」の気持ちの向く先が
だいたい親だったのですが、
親と私はかみ合わなくて、
私は親のために必死でいろいろ考えているのに
なんでわかってもらえないんだろうと思っていたし、
親は親で、
こっちがローラララのことを必死でいろいろ考えているのに
なんでわからないんだろうと思っていたと思います。
こんな風にうまくいかない関係のときは
いったん離れる方がいいと思います。
世間一般では、
「親は子供のことを何よりも大事に思っている」
「親は大事にすべき」
「親のことは好きでないといけない」
などなど信じられていますが、
そうじゃない家もたくさんあります。
また、「親と距離を置いてはいけない」というのを
守ってしまうと、
いつまで経っても精神的に休まらなかったりしますし、
いつまで経っても関係性が良くなっていかなかったりします。
世間が何と言おうと、
距離を置いた方がうまくいく親子関係というのはありますし、
そこに罪悪感を持たないで、
常識を無視して距離を置いてみるのが
うまくいく可能性につながる場合もあります。
私の場合は年単位で距離を置いて
やっと心から安心感を感じることができたので、
時間はかかるかもしれないですが、
全力で自分を休めて満たすということに
取り組んでみるということも
考えに入れてみるといいのではないかと思います。
自分が満たされたら、
周りの人にしてあげられることが増えるので
満たされないままよりもずっと
自分にとっても周りにとっても良いことばかりです。
読んでいただいてありがとうございました。